島の人

2018.04.13

加地美紀 Miki Kachi


自然の中で育った少女が

子どのもの頃から山や海を駆け回り、自然が大好きだっという美紀さん。
島の自然の中でのびのび育った少女は、高校を卒業後都会に出て働いた。
それから20年。両親が高齢化してきたこともあり、家業の民宿を手伝うためにUターンしてきた。


近くの勝尾崎に行き、わかめ、もずくなどの海藻を探す

島で生まれ育ったとはいえ、20年ぶりに戻ってきた能登島は、幼少期に親しんだ景色とは違っていたことに驚いたという。
だからこそ、これ以上能登島の昔ながらの伝統や風景を絶やさず受け継いで行きたいという願いを持っている美紀さん。
その願いを少しでもカタチにするため、子供達に能登島で工作やキャンプを体験してもらう活動や、能登島まあそいのブランド化を進める活動、商工会や観光協会の活動など、地域の様々な活動に参加することで、何か力になれないかと考えているという。

一度外に出てみて改めて島の自然の多さと、それらが身近にあることに嬉しさを実感したという。
「帰って来てよかった!」と語るその姿は、とてもいきいきとしているし、少女のようでもある。


能登島の自然の恵み、暮らしの知恵をお客様に

海に出れば春はワカメ、夏はサザエなどをとるのに今でも夢中だし、山菜をとりに山に出かけることもしばしば。
「海も山もすぐそこ。行こう!と思ったらすぐ行けるのが良い!」とうれしそうに語る美紀さん。
都会にいた時は海や山に気軽に行く事はできなかったけど、島に戻って来てからは昔と変わらない自分を思い出し、時間があけばすぐに海や山に出かけては、貝や山菜など季節ごとの自然の恵みの収穫を楽しみ、その恵みを民宿でお客さんに提供している。

「海のものは船で海に出て、漁をして採るってイメージがあるけど、サザエや海藻など船を出さなくても自分で採れるものも多い。お客さんは、私自身が採ってきたものだと言うととても驚く。私と一緒に海に行って採ってみたい!ということもあるほど。」と、喜んでもらえるのはもちろん、お客さんと盛り上がるのがとてもうれしいのだという。

母からのバトンを

また、鰀目という漁師町に生まれ育った美紀さんにとって、身近にある魚を干物にすることは小さい頃からとても自然なこと。
現在は、その季節に獲れる魚を使って自分でも作るようになった干物。自分好みの塩加減、干加減を工夫しつつ、時々お母さんからアドバイスをもらう。そうやって、昔からのやり方、母からの味を引き継いでいるという。
それは干物作りだけに限らず、能登島の恵みを使った季節のおかずから保存食まで、昔からのこの土地に続く暮らしの知恵を取り入れ、自分のものにしたいと思っているのだという。

子供の頃から能登島の自然と共に暮らし、都会に出たことでその良さを再確認した美紀さんが、民宿という形で、それをお客さんに提供できる。
「えのめ荘」に滞在すれば、美紀さんと能登島の食に触れることで、能登島の暮らしを体感できるはず。

 


〜まあそいQ&A〜

Q:お米はどうしていますか
A:島の昔からの知り合いに譲ってもらっている。

Q:イチオシご飯のお供
A:アジの一夜干しが好きで、自家製で作っているという。

Q:能登島の好きなところ
A:小さいころから海や山で駆け回って遊んでいたので、昔から自然が大好きだった

Q:「まあそい」と聞いて最初に頭に浮かぶものは?
A:自分でやっている畑から野菜を掘り出したとき、作物が豊かに実っていることを目の当たりにすると「まあそい!」と思う。


プロフィール
加地美紀(かち・みき)
1964年、能登島生まれ。地元の高校卒業後、県外の百貨店などで働いたのち、20年ぶりに島にUターン。家業である民宿「えのめ荘」を継いで女将となる。民宿えのめ荘は漁師町ならではの魚をつかったろばた焼きとアットホームな空気が人気でリピーターも多い宿。民宿経営以外にも様々な地域活動に積極的に関わっている。

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